100点主義の落とし穴

小学校低学年ていどであれば、100点満点を取ることはあっても、中学、高校、大学と進むうちに、「満点」はまずあり得ないことが見えてくる。

パーフェクトはない。完璧などないのだ。

もしもそれが「満点」だとしても、それは、「決められた基準で評価した場合」と言う事にすぎず、これ以後、それ以上のものが現れない、それ以上はないという意味ではない。

 

とするなら、「今回は」どの程度で満足すべきか。どこまでできればいいのか?

今の評価基準で90点ならいいのか?

いやそれすらハードルが高い。なら80点ならいいのか?

 

ベースはありそうだ。ここを越えなければ、そもそも評価対象にすらならないと言うポイント。そこまではいわゆる減点法で検討すべきだろう。

ただし、そこを超えるモノとして出来上がってきている物であるならば、そこから先は加点法で評価されるべきではないか?

減点法か、加点法かといったどちらかだけで評価するのではなく、なぜにそこの考え方でもベストを尽くさないのか?

さらに、加点法なら加点法で、「重み付け加点法」だってあり得る。美しさか、耐久性か、使い勝手か…等々、どこの部分を重視するのか、その部分の加点倍率を上げ、他を下げるという手段ももちろんある。


とにかく、「完璧であればよい」と思っている考え方は捨てた方がいい。それは、「今の基準」で満点に至るに過ぎない。採点基準が、評価基準が変わった途端に状況は一変する。そしてそれは、思いのほか簡単に変わりえるのだから。
箱庭たる基準の中での評価。その箱の大きさで、その範囲で良いですか?
 
世界は、都合が悪くなると平気で変更してくるんだよ。
たとえば、世界規模のスポーツの祭典などであってもね。
箱を、枠を飛び出すイメージを持たないと。