記憶の色

皆さんは、過去の思い出や記憶に、「色」はあるだろうか?

記憶の中のフォーカスとして、ある部分は鮮明にディテールが見えている事と同時に、色もそこについては鮮明な記憶が、本当に残っているのだろうかと。
 
時に、リンゴの赤さや、おもちゃの鮮明な青など、印象に残っている色もあるだろう。けれど、それは本当に「その色」だったのだろうか?
記憶にあいまいな上記以外の色となると、実は、日々目にする記憶で補完していたりしないだろうか。空は青いとか、あの箱は赤いとか、あの看板は黄色いとか、後付けでそうした情報を知る機会はいくらもある。
そうした「当たり前の色」で補完することで、記憶として、なんとなく全体を作り出しているのは、全体の何%なのか?
 
「その時の記憶」を思い出しているのではなく、その後の繰り返し記憶、強化された情報で、当時の記憶を作り出している割合は?
 
この「形」はこう、この「色」はこう。
当たり前で補完することにより、その当時の真の情報に限らないことで固めることにより、ターゲットとする記憶が「思い出せているような気」なっていないのだろうか?
心が砕けるほどの大きな衝撃や印象とともにない記憶などは、それほどあやふやで、おぼろげなもののような気がして。
それが、幸せなのか、そうでないのかはわからないのだけれど。

覚えたいものしか覚えていないし、思い出したく無いものは、傷つかないようにくるまれて、しっかりと蓋をされる。記憶で語る事で、本質のみの情報に削ぎ落とされる事もあるけれど、ディテールが落ちているとも言う。