突き詰めていくと

デジタルカメラは、一般大衆向けには、35万画素あたりからスタートした。
約20年近く前の話だ。

いったんスタートすれば、日本はブラッシュアップするのはお得意だ。センサーの画素数が100万画素を超えたあたりで、1つ抜けたぞといった商品感があったような気もする。
それも今では当たり前のように、1000万画素、2000万画素と画素数など十分に備えていて当然に。
…といった時代に入ると、すでに画素数は注目の対象から外れる。実力として、十分すぎる領域に入った証だろう。
 
パソコンのCPUも、その動作周波数が注目の的になった時代がある。
クロック数が、100MHzをこえたあたりから、200だ、400だ…。Ghzをこえたあたりから徐々に実質的上限(発熱との戦い)も見えてきたため、クロック数のみでの競争が一段落し、複数コア化のほうへと話がシフトした。
またそれと同時に、消費電力とバッテリーの持ちも注目を浴びていたため、最近では、通常の事務機器としてPCを使う人にとって、CPUの性能は選択肢として悩むべき項目には入ってこないことが多い。
 
そのように、同じ商品、同じ土俵上で、単に上の数値のスペックを追う競争をつづけていても、やがて行き詰る、注目対象から外れることは目に見えていることがほとんど。
だからこそ、横にずらしたり、斜め上への、発想飛躍が必要になる。
各メーカーはそれぞれに技術の名前を付け、新しさを演出して、技術の高さを演出し、「価値」を感じてもらおうとする。何のために?価値にお金を払ってもらうために。
 
物事は「上」ばかりの伸びるのは限界がある。横にも、前にも、伸びる軸はあるはずだが、大抵はそれに気づかない…気づけない。気付いている人を、正しく判断できない。同じ発想の上にいる事を認識し、そこからいかに「ハズす」かがカギに。
 
価値観が多様化しているなどと、メディアや言葉は踊るけれど、決して認められない人々がそこここに。
ゴールは一つじゃない。みんな同じである必要がない。ハズせ。
 
で、効率化と多様性
どこでバランスさせたいのですかね?
ハズせ。世間と違う価値観へ。