ヒーローとチーム、強みと克服

日本に連綿と連なる特撮シリーズ。

巨大ヒーローものと、等身大ヒーローものといった大きさの軸が一つ。もう一つは単体ヒーロー、チームヒーローものといった、ヒーローサイドの人数構成軸が一つ。

 

ウルトラマンに代表される巨大もの。仮面ライダーに代表される等身大もの。昭和の時代にどちらも一世を風靡し、平成に入ってどちらもリバイバルされた。

単体ヒーローの特徴としてのウルトラマンシリーズだが、実は変身前の姿においてはほぼ必ずチームで活動する組織がある。

仮面ライダーは、そもそも単体ヒーローであったはずだが、変身前に弱いサポートグループが居たりする。が、基本は一人で戦う。ただ、シリーズが進むにつれ、昔の仲間を引っ張り出して、チーム運営するのはご愛嬌。

 

ヒーローチームで有名なのは、ゴレンジャーに端を発するヒーロー戦隊もの。これは、5人や3人といった増減を起しながら、最近だと6人、7人などの変則部隊も出てきている。

 

単体ヒーローは、必ずどこかで行き詰まりが来る。なのでいったん敵にやられそうになり、「トレーニング」で一つ段階をあがって解消するか、変身前のサポートチームの助けを受けて次に進む。成長こそが鍵だ。

チームヒーローは、それぞれに特徴を持つ。なので、一人ではどうしても偏りが出る。当初はどうしてもチーム運営がうまく行かずにチームの強みが出せないでいるモノの、誰かの弱みを他の誰かの強みでカバーするチーム運営で乗り越えていく。チームとして成長することで超えていく。成長でもあるが、それと共にチーム運営が鍵だ。

 

こうしてみると、いわゆるヒーローにおいてさえ、必ず誰かに助けてもらっている。時には仲間から、時にはサポートする組織から。

いつでも「一人」で何とかしようというのは、姿勢としては嫌いではない。だがそれは「絶対に一人であり続けなければならない」ということではない。時には誰かに頼り、時には公の力に頼ったっていい。

 

という、「誰か」、とか、「公」が消えそうになってはいないか?強すぎる個人主義、それも本来ならサポートする側から、もう助けられませんから、という宣言を出すのはある種の社会的諦めになっていないか?みんながみんな、そんなに強いわけないじゃないか。

名実ともに「本当に独り立ちしなさいね」と、「決してだれにも頼ってはいけないよ」と、信じさせられているような気がしてならない。

 

頼っていいよ。頼ろうよ。

もちろん、そこまでは一生懸命頑張って…。