報われたもののみが

努力が必ず報われるなら、誰もが間違いなく努力するだろう。

だがいくら努力しても成果が出せず、時に「努力が足りないから、結果が出せなかった」と揶揄される人もいる。
 
歴史にifは無いので検証はできない。だが、事実はこうでは無いのか?
 結果を出せた者の努力「のみ」が認められる。
 結果を出せなかった努力は、認められない。
 
なのでこういう言い方もある。
 勝つまで続けさえすれば、必ず勝てる。
 ずっと負け続けていても、いつかは必ず…。
 
ただし僕らは、有限時間の中で戦っている。
短い人生、たった数年や数十年の中で。
 
だからこそ報われるのは、実は難しい。
だからもう…と、諦めてしまうと、誰も努力しない世の中になったり。
 
だからこそ、努力すれば必ず報われる、と、思いたかったり。
 
 
昨今、無駄な努力はしない人が増えているように見える。効率がいいように、も見える。
短期的に成果が見えるものにしか力を注がない。
いや、それもいいかもしれない。
でも、効率性を求めるだけなら、実は創造性(不確実性)は犠牲にならざるをえない。
いや、それがその人が求めるモノならば。