ある者の所在

ネットが発達し、スマートホンを誰もが手にできる時代。

「情報」には、ちょっと指先を動かしさえすれば、簡単にアクセスできる世の中になってきた。

しかし、大抵の者はそうして提供される二次情報にのみアクセスしている人たち。極論すれば、これは井戸端会議レベルの議論を超えることはできない。想像で話をし、そこに書かれている範囲を超えない情報。新たに生み出されるものはほとんどゼロに等しい。

 

そんな中で、一次情報にアクセスしにいく者がいる。

二次情報としての情報を使いながらも、ただ眺めているだけではない新たな、そこにはなかった情報を求めて、自分しか気づかないかもしれない情報を求めて。また、一次情報に直接触れることにより新たに生まれるかもしれない、創造できる情報を作りにそこに向かう。
 
要するに、二次情報に触れているのみでは決して見えない、生まれてこない情報をとらえに行く。それを作れる人、作ろうと意志を持って動く人、そこまで行動を伴う人は、実はきわめて少ない。
 
普通はこれをジャーナリズムと呼んだりする。ジャーナリストに求められる情報収集能力は、二次情報ではなく一次情報で、その上での編集力が求められているに他ならない。
 
が、これはこと「ジャーナリズム」だけに限った事なのか?
いわゆる仕事を回している人は、どの分野でもそうではないのか?
 
現場に行って自分の目で見る。
現実を目の当たりにして、判断を下す。
現物を手にして、感触を試したうえで決断する。
俗に三現主義などと呼ばれる仕事現場のリーダーの在り方も、まさに同じではないのか?
 
これを、自分で必死で自分に言い含めながらでも行動できるならまだいい。
だが時には、そうした行動が自然にできる素晴らしい素質を持った人もいる。
場合によっては、その資質に本人が気づいていない場合もある。
 
他方、場合によっては、本人ができると勘違いしていることもある。優秀な周りがいてこその自分を認識できていないことがある。が、それはそれで、そのチーム、グループが成り立っているうちはまだ幸せかもしれない。
話がそれた。
 
ただ事実として、そうした優秀な人々の人数が少ないこと。
そしてその大多数は、ネット界隈には生息していなさそうなこと。
昨今の某週刊誌のスクープは、(同期はなんにせよ)そうした行動できるメンバーで構成されたチームであるから生み出せる情報であり。
ネット界隈はと言うと、二次情報を元にワイワイ騒ぐことはできたとしても、一次情報を操作できる人は、極めて、きわめて小数か、またはほぼ確実にゼロに近いと言う事。

で、あなたはどれになりたい?