コミュニケーションの根っこ

コミュ力が重要です。

と、あちこちで喧伝され、みんなしてその力をつけようと努力する。で、聞いてみたい。その力がついたとして、何したい?誰かや何かをどうしたい?コミュニケーションを「目的」にする人が大変多いのではないだろうか?

それはある意味での手段であって、多くにおいて、コミュニケーションは目的ではないはず!
 
例えば、意中の人を射止めるため
相手を説得するため
自分の味方になってもらうため…
 
に、コミュニケーションが必要になる。
ただ、一般的にはそうした必要事象に至る手段が複数ある場合があることがほとんどなのに対し、こと、コミュニケーションが手段になっている場合には、それ以外の手段が存在しない場合が少なくないようだ。
よって、代替手段が存在しないことにより、これをせざるを得なくなる。と、手段を目的と捉えがちになる方も。
 
違う。コミュニケーションは基本、徹底的に手段なのだ。それは相手を深く知ったり、相手を落ち着けたり、相手の真意をくみ取ったりするために実施すること。
であるため、多くは言葉で語るところにフォーカスされがちだけれど、それのみならず、たとえば対象によってはしっかりと黙ってハグすることであったり、握手をすることであったり、じっと見つめあうだけでも、十分なコミュニケーションになる。アイコンタクトなど、言葉すら交わさない、離れた距離でも十分に相手と意思疎通ができていたりするではないか。
 
裏返して言えば、それらすべてが「コミュニケーション」と呼ばれている、一つの言葉で表されているからこそ、なにかひとつの事象と勘違いしがち。だが、実際には「さまざまなコミュニケーション手法」が存在し、多くの人は、意識してかせずかは別として、それらを必要に応じて使い分けている。
 
だから考えよう。「どうなりたい未来があるのか。そうなるためには、どうやってコミュニケーションを取っていくのか、どんなコミュニケーションなのか」を。
 
「コミュニケーションすればいいでしょ…」を深く掘り下げない場合にこそ、そこでコミュニケーションの食い違いが起きていたりしないか。