より現実的モデルが求められている時代

昨今の経済状況はアベノミクスのほころびがようやくみんなに浸透してきたのか、「やっぱり経済は復活していない」という雰囲気に。

黒田バズーカなどと言われても、だれも何にも反応しなくて。

 

私は経済学はそんなに詳しくないけれど、それでも各個人における「理想的行動」や、判断をベースにしたモデルで近似できていた時代は過ぎ去り、今や、細分化されたそれぞれの思惑が、互いにそれぞれの行動を想像することにたけはじめ、それを見越した最適化へ向かう時代へと変遷している。

よく、囚人のジレンマなどを学ぶことがあるけれど。「個」で考えれば、「自分だけが得になる」というところを選びがち。だけれど、「みんな」で考えれば、それだけ全体として損はしませんぜ、という理論だけれど、みんなで一緒に…という考え方にほとんどの人が至っていない、まずは自分が損をしないようにという行動に走っているだけで。

 
なので、そんな今の状況を表せるモデル、数学的方程式、これらが求められているのが今日この頃。
言い換えれば、他人の欲望を数式化しようという魂胆であり、そんなことができるのか?と考える向きもある。
 
でもね、すでに高額所得者の上位1%以下のところには、そうした株式投資を人工知能で回すソフトが割り当てられ、投資利益率がそれこそ5%を上回っているなどと言う話も聞く。「庶民の行動」はお見通しで、それらを判断できる数式、未来の数値を見通せる方程式めいたものが、事実上あるに等しい事に。
 
とすると、要するにそうした仕組みが供給されない者は働き続け、搾取され続けてくださいね、ということかもね。
世の中の半分の価値が、世界の数十人に占められているって、やっぱりおかしいでしょ。是正するつもりがない、是正する側が牛耳られている…ってことなんだろうか。
地球って、有限資源なんだよねぇ。