ほしいのは「ノリシロ」

今時の子供は、もしかするとこんなことばは耳にした事が無いかもしれないなぁ。ノリシロ。

紙工作をしない限り使わない言葉かもしれない。
 
ノリをつけて、隣の紙パーツとくっつけるための重なり部分、それがノリシロ。漢字で書くと糊代か。
もちろん、それ自体が1枚の紙でできていれば、重なり部分など必要無い。が、組み立てにくかったり、そもそも1枚では作れない造形の際には、別パーツとして作成して後でくっつける。その際に必要なのが、ノリシロだ。
 
無ければ無いでけっこう。でも、あると、万一の時に、何かの時にはそれでなんとかなったりもする。
適度にノリシロがあると、きちんとパーツとパーツがくっ付いて強度が出る。しかし、ノリシロがありすぎると、そもそもパーツをくっつけるのに邪魔になったりもする。有りすぎてもダメ、でも少なすぎてもパーツ同士がくっ付かなかったりと、適切な大きさがここにも存在する。
 
 
話は全く変わるが…。
昔は、休みを取って旅行に行ったとしても、旅行から帰ってきた次の日から、バリバリと働き始める事も厭わなかった。けれど最近は、せめて半日、できれば1日、ゆっくり自宅で過ごす時間がほしいなと思う時がある。歳だね。疲れてきたのかなぁ。
ただ、どうやら私だけではないらしい。若手の社員に聞いてみても、やはり休みはごろんと家で静養したいこともあるという。
ただ、自分の経験から言うと、休みすぎるのも厄介だ。年末年始の休暇など、日ごろ休んでいなかった分の有休をくっつけて、思わず長めに休んだりすると、いざ出社する日からのリズムが整わなかったり。
 
要するに、仕事に、日々の生活に、何らかの適切なノリシロが欲しいんだろうということ。ただこれも、あればあるだけ…というのではなく、休みすぎず、しかし働き過ぎず、と言う事を考えた、適切な量が必要で。マシンだって、オーバーホールメンテナンスする。人間だって、効率を追求しすぎると、部品が摩耗する。オーバーホールメンテナンス期間だって、企業がお金を払っているんだから、ヒトも、ね。
 
大人だけに限らないかも。最近の子供は、学校が終われば、やれ習い事だ、やれ塾だ、やれスポーツだといろいろ忙しい。作られた作業、強いられた環境だけでなく、自分で考え、動き回れる自然と触れ合うような刺激もあるべきではないかな。
 
昨今、あちらでもこちらでも、効率化効率化でどんどんと「ノリシロ」を減らす方向に。そうして減りすぎたノリシロは、社会のパーツの結合力をどんどんと弱めたり、そもそもくっつけることができなくなるほど小さくなっているのでは…と思う今日この頃。