違う、との違い
あの人とは意見が違う。
自分の身の回りでも、意見が違う人はいくらでもいる。
部分的に賛同できる人はいろいろいたりする。むしろ、そういうところを探して、近所づきあいを円滑に回す、というすべが、普通の社会生活を営む上でのスキルの一部でもあるだろう。
だが、自分と完全に同じ意見の人はまずいない。たとえ家族でも、愛している人であったとしても、1から10まですべてを賛同できる人はいない。
と考えれば、当然こういう帰結にならざるを得ない。
好き嫌いと、意見が合う事違う事とは、別軸だと。
だが、そもそも仲良くなるきっかけとして「意見が合う」というあたりを入り口にしている場合、「意見が違う」は、仲が良くならない方向への入り口になってしまうことがある。
「意見は合わないが、論理展開は理路整然。おれと考え方は同じだ」
こういう視点で、仲良くなる人がいる。だから、自分とは意見が違うが、でも仲間になれる。
違うけれど好き
同じだけれど嫌い
これを許容できるだけで、実は仲間が広がる。
ただ、相手もそういう視点を持っている人、という点で、なかなかハードルが高いのだけれど。