金でやり取りできない

格差社会が話題になる昨今。お金を持っている人と持っていない人の差がどんどん開く時代。

 

だけれど一方で、「持たない生活」的に、究極に所有物を減らしているミニマリストのような生活も取り上げられることがある。

お金とか、モノとか、そんなところばかりにフォーカスしがちな気がしている。

 

そんな中、いくらお金持ちでも、ミニマリストでも、お金の有無にあまり関係なく、そしてお金では即解決できない価値もある。

言うまでもなく、「人の縁」であり、「人とのつながり」。

 

さまざまな問題と絡む話になるので深入りは避けるが、シェアハウスという生活スタイルが、ここ数年、都心では受け入れられつつあるように思う。もちろん、お金がかかるところを互いに補い合うという意味合いが大きいのだろうと思うけれど、結果的にそれのみならず、緩いつながり、人との縁というものが醸成される。

 

SNSばやりというのも一役買っている、というか、そういう時代だからSNSが流行っていると考えてもいいかもしれない。これはあえて言うなら、場所が離れていても、人とつながることができるツール

どんなツールを使うかは人それぞれだけれど、facebookTwitter、LINE等々、単なる通信手段として使う人もいれば、ほとんど物理的に出会ったことのない人とでもつながりあって、情報交換をする人もいたりする。まさに縁、つながり。

 

このツールが話題になり始めたころは、フォロワーの人数分だけ御代を浮かせます、なんていう一時的店側サービスもあったりしたけれど、さすがに今はないかな。

 

会社を定年退職したりして自宅に引きこもって「ぬれ落ち葉」になって困るのは、コミュニティデビュー。「会社という枠組みのみでの人のつながり」がプツリと切れてしまうことによって、それ以外はもう、配偶者、親兄弟子供としかつながっていなかったことが露呈して動きが取れなくなってしまうという状況。

 

もちろん、だから不幸だとか、だから幸せとか決めつけるつもりはない。けれど、「つながり」って、意識して作らなければ、つながろうとしなければ出来ていかないモノ。

(もちろん、ある閾値を超えたり、あるステイタスレベルを越えれば、あちらから近寄ってくるんでしょうけどね。)

 

お金がない人でも「つながれる人」ならば、実は田舎に行けば人のつながりで生きている人もいるかもしれない。お金はあっても、都会の喧騒とした中で、一人ぼっちでいる人もいるかもしれない。

選択するのは自分だよね。