その道具のシチュエーション

ようやく三寒四温も暖かい日が増えだした昨今。本州では桜がそろそろ見ごろになり始めた地域が増え始めている。デカいカメラを抱えたご年配方も、桜並木に押し掛ける。

 

昨今は、別に一眼のみならず、スマホでさえ、素人が楽しむには十分な機能のカメラが搭載されている。

そうした写真はいつ撮るか?

嬉しい時、記念日、美味しい時…。たいていはそんな時だろう。
おなじく、カメラを持ってくればよかった…というシチュエーションはそんな時。この綺麗な情景を、美味しそうなこれを、素晴らしい瞬間を、残せたのにぃ…と、まぁ今となっては、スマホについているのだけれど。
 
 
悲しいから、とカメラを出す人は少ない。寂しいから、悲しいから、「だから」今を記録しておこう、というのは、第三者的人であることが少なくない。だから自らが撮った悲しい記録は少ない。
とすると、自分が撮った写真には、嬉しいこと、楽しいことが詰まっていることがほとんどのはず。
 
だから、写真は楽しい。思い返してみたところで、そこには、楽しい事、美しい事がたくさん詰まっている。
 
楽しい事の思い出、うれしい事の思い出、場合によっては思いがけず、
「この写真を撮った後に…」
というエピソードが続いたりするけれど、今その話ができるのは、思い出として楽しむことができるから。
 
そこには楽しい事が詰まっている。楽しい記録が見える化されている。
今日もスマホのカメラが活躍する日になればいいね。
こういう良い時のための道具、他には何かないかなぁ。