勘違い上司

コーチングとは、何かを教えるのではなく、相手から引き出すこと。

…とかきっと学んできたんだろう。いまからもう10年近く前になるけれど、当時の上司との半期に一度の査定面談の際の対応が、それまでとは違っていたことがあった。

 

相手から引き出す、ということは、自分から答えを話さずに、解を提示せずに、相手に答えを言わせること。ということで、この場合の上司から見た相手、つまり私から、何らかの言質を取ろう、コミットさせようとする気満々。

こちらとて、コーチングの基本要素はなんたるかなどは先刻学んだうえでの話。なので、内心、『うわっ、なんだこの圧迫面接みたいなのは!こっちからの質問には一つも答えず、聞くつもりがないのかっ!いつも答えは、「で、君はどう考えている?」ばかりじゃないかっ!』という寒い経験が。

 

結果、部下の意見を聞かず、質問されても質問で返し、部下を質問攻めにして、コミットさせることに注力していたというそのミーティングは、当然ながらこちらは非常に満足度は低く。たしか評価も高くなかったとおぼろげながら。
 
トレーニング手法や、さまざまなテクニックは、どれにも多様な側面があり、使う側にとって良いところだけをピックアップして使いがちだけれど、たいていそういう使い方をすることで、本当の効果が出なかったり、結局使えないとそのテクニック自体の効果がないと判断されたり。
いやいや、たいていそれらの多くは、使う側のエゴや欺瞞に満ちた使い方それ自体が問題ですから、と言う事が多くてね。
 
でも、昨今巷で言われているブラック企業等々は、たぶんこういった「滓(おり)」がたまりにたまった結果生まれた事象でしかないんじゃないかと。みんな自分がかわいいものだけが、自分のために行動している事ばかりが集まってしまったのではないかと。
 
ということで、バブル以降、バブルで貯まった余剰を使い切った日本が再生するために、どこでどうやって、人を、他人をおもいやる「余裕」を生むかと言う話にいつも行きついてしまうのだけれど。
 
良い上司に巡り合いたいなぁ。