それはいつも想像力で決まる

大きな地震だ。

当然大きな被害が。国としてのシステムが動き出しているし、これまで何度も経験してきたさまざまな人々の知恵が注ぎ込まれ、復旧、救助に奔走している人がいる。

 

そんな中で、「今のテクノロジーだからこそ」できることもあるけれど、それが、受け入れ態勢が整っていないというだけで、「できるのに、なにもできなく」て、悶々と過ごしている人たちがいる。

たとえば今回など、ドローンの技術をうまく使えば、災害救助に使えたり、被害状況の詳細をつかむのに使えたり、孤立地域に物資を供給する手段に十分なりうるのは、誰もがすぐに想像できること。

 

一部地域では、そういったことを想定して、地元消防署とそうした技術提供者/社とで約束を取り交わしていたりするらしいのだけれど、これほどの災害になると、そうした技術提供者/社も被災者だ。だから、「外部からのそうした受け入れ態勢」が整っていなければ、そうした機構はうまく動かない。

 

が、そんな体制は、状況が起きてから相談して整備しているようでは遅い。

「本当にそこまでする必要ありますかぁ?」

たいていは、こうした一言で体制整備は一進一退、遅々として作り上げられずに悶々とする日々が続くのが想像に難くない。そう、「事前に、想像力で、そうした体制が作れていて」こそ、「その時」に効果を発揮する。

 

だからこうした体制にかかるさまざまな費用は、ムダ金に終わることが多い。だってそんなに使われる場面がないのだから。

…といってそこを削ると、いざという時に何も動けなくなる。

 

想像力をもってそれに準備する。そして、そのための予備費をいくら積み上げられるのか?余裕をどのくらい持てるのか?

余裕と言うのは、削ればいいというモノではないと言うのはいうまでもない。

こんな時のために準備する。あぁ、ありがたいと思われるこの時のために。

 

落ち着いて急ごう、まずは救助と復旧を。