出来ること、を探すことから
ついつい自分では「目の前において、今できる事」を探しがちだ。
特に社会人になって、日々の仕事に追われることが多くなればなるほど、何か大それたこと、夢、人生の大きな目標に向けてコツコツ…ということよりも、目の前のあれをやらなきゃ、こっちを片付けなきゃというのに追われてしまう。
だが何人かは、「こうした未来があるべきだ」というビジョンを描き、その上で、それをどんどんとブレークダウンしていって、結果として「だから今、これをやるべきだ」という、「今からできる(未来につながる)やるべきこと」にたどり着き、それを処理することに動き出す。
塵も積もれば山となる。そのちょっとしたブレークダウン処理、目の前の雑事にかまけるだけでなく、大きな目標に向かって、カメのような歩みでも進めていくことで、大きな目標に、必ずいつかは到達する。
でも往々にして、そうできない人たちは、ブレークダウンするという事すら知らない人がいる。気付いたことから手を付けるのと、全体が見えていて、その中で手を付けるべきところから手を付けるのとは、根本的に違う。
…と書いている私ですら、なかなかうまくできていなかったりするわけだが。
出来る事からやってしまうから、周りは片付いているけれど、大きな方向で動けていない状況を生み出す。
進むべき方向の、小さいけれどやるべきことを徐々に進めていくことがいかにできるか。そのために、その方向に進めるには何をすべきか、それがきちんと具体化され、詳細化され、自分の中でフォローアップできる形に成型しなおせること。
というのは、リベラルアーツ的な場所で習う訓練なのだろうか?中学生や、せめて高校生くらいで習える場所って、日本の有名私立進学校とかなのかな?
そんな人たちの中で生活している人には、当たり前。
そうでない人には…。