「つまらない」が「おもしろい…」に

その「作業の意味」が分かっていなければ、やらされ仕事の範疇を越えず、「やれって言ってるからやりますよぉ」に。

当然ながら、そんな状況では品質だって上がらないし、効率も上がりようがない。やるべき理由は「やれと言われている」の範疇を超えない事がほとんど。なので意味が分からないのだから、工夫するポイントも理解できていない。モチベーションも普通は上がらない。

 

ところが、「…のために、こうしてほしい」と、「作業の意味」や「理由」が伝わっていると、気を付けるポイント、工夫すべきポイントが見つかる。裏を返せば、それ以外のところは効率化したり、手を抜いてもいいポイントと取ることもできる。判断の基準が分かる、評価指標が分かる。こうなると、現場で工夫の余地ができる。理由を話すという事は、人によっては効率化するポイント、誤解を恐れずに言えば、手を抜けるポイントを発見できる手がかりに。

なら、こうすれば楽じゃないの?こうすればもっとうまく回せるんじゃないの?

 

さらに、そうして出来上がるモノの意味が分かると、その先に広がる。作る際の工夫のみならず、ユーザーに手渡された後の、使う際の工夫にもつながる。

工夫が評価されることで、自らが評価されることにつながる。承認欲求の高い現代社会、やったことが認められる事ほどモチベーションが上がるのはいわずもがな。

 

だから、「わからない」事は「おもしろく」なりようがない。

面白くなるためには、意味が理解でき、そこに何らかの余地が存在する必要がある。

 

まずは、「意味」を理解してもらう事。

その上で、(もしかするとすぐに当人は気づけないかもしれないが)なんらかの「余地」があり、そこはあなたが認められるチャンスでもあるということを伝える事。

こうすれば、おのずと工夫することが考えられ、工夫すれば認められ、認められれば面白いと感じられる。

いきなり面白くはならない。が、「面白くするためのロジック」はあるはずだ。