当事者が俯瞰する

サッカーでも、野球でも、チームスポーツで。

テレビを見ながら、監督気取りで文句を言ったり、選手気取りで、そこもっと上がれ!もっと左だろもぅ!などと言うのは、素人としての、スポーツ観戦の一つの楽しみw。
 
だが、その当事者になって、実際にそのフィールドに立ってその行動ができるか?今自分が文句をつけた行動をすべく、判断が下せるか?となると、きっと誰もが、いやいや、俺はプロじゃないからと引くのが相場。
 当人のスキルがどうのと言った事は置いておいたとしても。

そうしたコメントが述べられる一つの大きな理由は、実は、当事者には持てないある情報を、そのヤジを飛ばしている方は持っていたりするからだ。それは、大曲的俯瞰ではないのか?
 
サッカーにせよ野球にせよ、選手はある意味、地面に張り付いている。現場で、一選手として見えるのは、その自分の担当位置からの状況でしかない。
しかし、観客席で見ていると、その全体像が、テレビ観戦などではカメラを切り替えながら、さまざまなアングル情報が見えていたりする。そもそもの「1担当選手」の情報以上に、俯瞰的にその状況を眺められる状況になっている、これが視聴者。と、そりゃ、一担当では見えない、より良い大局的判断ができたりする事もあるだろう。
 
 
…と、これを自分の「仕事」で振り返ってみてほしい。
自分の担当している仕事における自分の行動は、その仕事全体を俯瞰的に見ているものからはどう見えているだろうか?と。
その視点を意識した途端に、あなたの行動や言動がかわりはしないか?
多分、あなたの上司、さらにその上の上司は、そうした視点から見ていないか、と。
 
もちろん、どれもがいつも正しいとは限らない。俯瞰的に見ているからこそ見える全体像の代わりに、現場の細かな情報は現場でしかわからないからだ。それをいかに、俯瞰者にフィードバックできるか?逆に俯瞰者からの情報をいかにこちらも受け取るか?
 
絵を描くときでも、部分に気を取られていると全体バランスが崩れることがある。あるタイミングで少し絵から離れて、ちょっと距離を置いて全体俯瞰してみることで、バランスが取れたり、書き込みが荒いところが見えてきたりする。
 
行動派詳細に、具体的に、でも、判断は俯瞰的に、全体的に。
思っていてもなかなかできない。
でも、まずは意識するところから。
ちょっと離れて見るところから。