主義の前提

極論を書くかと思う。

 
資本主義の前提は、競争し、より良いものを生み出したものが、より大きな富を得る。そのために、「適切な」競争を促し、人々を競わせ、結果として皆がそれなりのより良い恩恵を受け取れるようにする。
 
適切な競争とならなかったり、より良い恩恵を受けられるものがごく限られた人のみであるならば、その仕組みは成立しない。どうせ自分は、という関係ない感覚が生まれてしまえば、いったん振り落とされた者は、もうそこに挑まなくなる。
誤解を恐れずに言うと、成長した分、大きく努力した人には大きなリターンを。そうでない人にも、多少のリターンを、という事。
 
しかし、現状を顧みてみると、大きな利益側には、それこそ人生の中で使い切れないほどのリターンを得ているし、またそのリターン自身が、次のリターンを生むという時代。
他方、そうでなかった人は、削られるだけ削られて、ギリギリか、それ以下の生活を強いられようとしていることに。
 
体感的には、すでにかなり社会のバランスが崩れているように感じている。リターンのバランスが悪い感じ。
そして、そのバランスが崩れる事で多分一番迷惑を被るのは、この世界の安定が崩れる事で、今まで多大な恩恵を受けていた人々のはず。たしかに、努力の上の成功は、対価をもって評価されてほしいとも思うが、それによって、負けたものが徹底的に貶められてしまう世の中では、結果として不安定になり、よりコストがかかる、不安な、危険な状況を生み出すことにつながる可能性があることは、少し歴史を紐解けば理解できるはずなのだが。
それなりの人に、そこそこ、これでやっていってもいいかもな、と、誤解させるくらいにはリターンしなければならないはずなのに、そうなっていないのでは。単なる景気回復とは違う軸での考慮が必要な世界になってきている気がして。
 
揶揄される言い方ではあるものの、「世界で一番成功した、民主主義的社会主義の形」と言うことを、もう少し研究してもいいかも、と思うけど。世の中、バランスが必要で、左右に大きく振れる、右へ行き過ぎてから左にググッと戻しすぎるのは、それはそれで、負荷が高まるんじゃないか。