誰かが目指している事と、自分が目指している事と

行楽シーズン。外出するにはうってつけの季節。一昔前は、運動会と言えば10月だったけれど、昨今は行事の詰まり具合から、5月に運動会を行うところも。

 

運動会と言えば、どこでもまず間違いなくあるのが徒競走。50m、100m走ということで、同学年のメンバー同士がゴール目指して競い合う。…が、もうとびぬけて速いやつは分かっていて、それ以外のところで競い合いがあったり。一時は、ゴール前でみんないったん揃えてみんなで一緒にゴール、などと馬鹿な時代もあったようだけれど。

 

こうしたわかりやすい競技はともかく。みんなで「同じゴール」を目指さなければならないのだろうか?特に人生において。

結婚がいいと言う人もいる。独身がいいと言う人もいる。どちらでもよいではないか、その人自身が幸せだと思う方で、と私などは思ってしまう。どちらにもメリットがありデメリットがある。何を期待し、何を避けたいか。自分の中で選択すればいい事。

 

なのに、多くの人は、何となく「世間の目」としての「みんなから見られている幸せ像」をまっとうすることこそが「幸せ」だと思わなければいけないプレッシャーに、いまだに押しつぶされそうになっている気がしてならない。

 

それは、周りの人がそう思っていること、いや、「周りがきっとそう思っているんじゃないか、と、あなたが思い込んでいる事」ではないのか?

もちろん、そうした「周りを喜ばせたいと言う事こそが、自分の幸せ」であるのならば、何も異論をさしはさむつもりはない。けれど、もし「周りは喜んだとしても…」と思うなら、「本当に自分がなりたい何か」を探したほうが良いのではないだろうか?

もちろん、他人のまねをするのもよいけれど、あなた自身はどうなりたいのか。周りをどうしたいのかでなく、あなたがどうなりたいか。自分自身とじっくり話し合うと言う時間は、案外ここまでなかった人が少なくないのでは?

 

自分自身とじっくり対話してみる。

どうなりたいのか、どうなっていきたいのか。