充実感の条件

ゲームを考えてみよう。Wiiでも、PS4でも、Xboxでもどれでもいい。

そのうえで走るソフト、面クリア型のシューティングソフトとでもしようか。

きっと最初は途中でやられる。1面すらクリアーできない。それでも最初はまだ簡単で、何度か繰り返すと1面くらいは越えられる。だんだんと操作に慣れ、武器に慣れ、相手の特徴も見えてくる。テクニックも身について3面ほどクリアーすると、部隊が変わって最初のステージのラスボスが出てくる。ここでも何度か挑戦してやっと超えられる。ファーストステージクリアー。

 

こうしたゲームをする際に、「一度で越えられないから」とゲームをしない人はまずいない。一回で「必ず超えられるゲーム」なんて、当然つまらないものに過ぎない。だからこそ、何度かトライして、繰り返し挑戦して越えていく。こうした「うまくなる感覚」こそがゲームの楽しみの一つ。「よりうまく操作できる自分になっていくこと」が楽しいのだ。

 だから、そのゲーム、そのステージの成功確率が、最初から100%とか、99%では、ダメ、ゲームとして成立しないのは、いまさら言われなくたって誰でもわかっているはずなのだ。

 
じゃあいくらならいいのか?0%だとだれも成功しないからゲームとして成立しない。5%、10%ではむつかしすぎて面白くない。
だからそこそこ充実感を得られる、最初のステージは80%、だんだんとステージが進むにすれむつかしくなっていって、テクニックを手に入れるまでは60%、50%と難易度が上がっていく。
 
結局、だんだんとむつかしいことに遭遇していくしかないし、そうして「あぁ、自分の実力が上がっている」ということこそが充実感。
 
ただし、「ゲーム」というのは、そういう満足感を安価に与えてくれる状況として販売されているある意味サービス。しかし同じ物の見方をするならば、この世はすべて、むつかしいことに変わりない。
 
とするならば、いかに自分において、さまざまな、例えば勉強、たとえば仕事において、うまくそうしたクリアーすべきハードルを設定するか/できるか?こいつがうまく設定できれば、少しずつ満足感を得ながら、(特に仕事の場合は)給与をもらいながら成長することができる。
他人から/上司から、そうしたハードル/次に超えるべき障壁が設定される場合がある。が、要は「次のステージのボスキャラ」に過ぎない。何とかその前までのステージでテクニックを身に着けて、このボスキャラを倒していくしか、その先に進めないのだから。
 
だから、「完全にできるようになる」という状況はまず来ない。それが来るまで待っていたとしたら、それは時間がかかりすぎて、「ゲーム」として成立しないのだ。
 
さて、あなたの次のハードルは?