なぜ質問が無いのか

会議にせよ会合にせよ、人が集まり、誰かが発表し、
「それでは、質問の時間を取りたいと思いますが、何か質問はありませんか?」
となったとき。

もちろんその集まりの趣旨やメンバーに依存するのだけれど、結構な確率で、「質問」が少ないことはおうおうにある。

 

「本当に」質問がないのならいいのだが。実際「では質問がないので終わります」…といった後に、個別に質問してくる人が多いのが現実。なんだ、あるじゃねーか。

 

質問は、「それ」について考えていないとできない事。さらに言えば、発表者の多くはそうした想定問答すら検討しているという場合もあり、こうなると、いつでも出そうな質問は、先に説明の中でつぶしていたりする。となるとさらに普通の質問される項目は説明済みであり、そんな中での説明をしようとすると、

「あまりに当たり前すぎること」

「そもそもの大前提に起因すること」

以外は、

「かなりしっかり考察したこと」

くらいしか質問できなくなる。

 

そう。「考えていなければ、質問できない」のだ。考えるからこそ質問できる。

時には「浴びせられる情報量」でいっぱいいっぱいになって、考えることができない状況もあるけれど、それでも、少しは考える。

考えることができなくなれば、そこで止まる。そこで終わる。

あとは流れるがままに、流されるがままに。

もしかすると昔はそれでよかったのかもしれないけれど、たぶん今は、それで流されていく先は…。

 

と、その先を考える。

考えましょう、質問するために。

1日1質問。1会議1質問。