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触りたいもの、見たいもの

今年は、家庭用ゲームが本格的に3D化する年。

いくつかの主要企業から、ヘッドマウントディスプレーが出荷を始めているし、すでにそれに応じたコンテンツクリエイター、いわゆるゲーム企業も作成に余念がない。

 

つい10年近く前、日本のテレビが液晶メイン、デジタル方式メインにパツンと切り替わろうとした際。規格として3D方式も盛り込まれた。テレビ企業側はそれに呼応し、立体視できるメガネをつけたテレビを売り出した。DVDやBDも、3Dコンテンツをいくつか作った。

…が、今はやっているようにはとても見えない。そもそも、テレビ「放送」が3Dコンテンツを流しているなどと言うのを、ついぞ聞いたことがない。技術先行で、マーケットがまったくついていかなかった一つの事例だろう。

 

私が思う3Dコンテンツ。それは大きく2つに分かれるような気がする。

ゲームでは、操作、インタラクションが求められる。ヘッドマウントディスプレーをかぶり、どの方向を見ても、自分の周囲、360度が常に計算され、振り返れば描かれるという大前提が必要だ。膨大な計算が必要だけれど、それゆえに、今までには表現できなかった独自「空間」が表現できる事。自分の行動に応じたインタラクションがある空間。
 
それとは別に、実は「見るだけコンテンツ」はないのか?
間違えないでほしい。「テレビ業界が失敗した」見るだけコンテンツとは意味が違う。
「テレビの3D」は、見ていたテレビ枠からの映像に、「奥行きが付きましたよ」という映像だ。だが、そうではなく、ヘッドマウントの3Dはというと、「振り返ったそちらの方向には、今まで見えていなかった方向の別の場面が描かれている」という、そうした、常に周囲360度が計算され続けている、そういう3Dだ。
ここにインタラクションが付くとゲームになるのだが、いやインタラクションが付く前段階に、「360度の見るだけコンテンツ」は本当にないのか?
 
たとえば、世界的な美術館、動物園、世界遺産。今なら、高精細な画像、情報を記録する手法が確立されつつある。
以前なら、世界の有名な美術館が、一つのテレビ番組になっていたりもしたけれど、それとて、「カメラの視線」を超えて、頭を動かす/視線を変える事は、視聴者の意思ではできなかった。
だがそうではなく、いつでも、視線を変えられる、後ろを、横を眺められる。まさにその空間の中に入り込むそうしたコンテンツは、これからのVR世界のコンテンツとして市場はないのか?と。
 
これで思うのは、「世界の車窓から」なんてのは、まさにうってつけのVRコンテンツになるんじゃないかということ。だって座っているだけで、景色が変わる。見ているだけで風景が変わっていく。
 
そんな未来は、黙っていても来るかもしれないけれど、意思をもって「自分で作る方向で動け」ば、より早く、確実に、自分の周りに来たり、もするんだけど。:)