重なるもの、重ならないもの

記録の数は、基本、積み上がる。

失敗したときは下がるのでは?というのもなくはない。が、それは考え方としては、比率の考え方に近い。その数を比率として見ると、全体の数の上で、成功した割合、ということになり、100%を超えない範囲で収斂していく。だからその中で、微妙に上がりも下がりもする。が、それは100までの数の内側に縛られる。

たとえば、事例a)として、全回数が40回、そのうち成功回数が10回であれば、成功の比率は25%。

同様に、事例b)として、全回数が4000回のうち、そのうち成功回数が990回であれば、24.8%。

比率だけで見てしまうと、a)のほうが比率では良いように見える。が、当然ながら、絶対数が少ない。比率だけならb)はa)に劣るかもしれないが、トータル4000回もの施行の場に至るということだけでもすごいことであることは少なくなく、その「長時間の中においての比率」としてみると、これはすごい記録だということは、言うまでもない。

 

だから、「どのくらいの期間」そうした状況を維持しているかだけを純粋に見るなら、積み上げた数、成功の数を見るのがわかりやすい。そのうえで、比率を比較するというのなら、まだ話は分かるのだが。

 

重ねて比較すべきもの、比率のみで判断するもの、それぞれの適正に合わせて考え、利用すべき比較の指標。…なんだけど、多くの人がそれを意識せずに使っていたり、場合によってはよくわかったうえで、意図をもって「そちらの比較表示」を選択したりする。

 

なぜその表記として、図として、なぜその数字を比較することになっているのか。鵜呑みにする前に、ちょっと思いを巡らしてみるのも悪くない。意図ってのはそういうことでしょ?