やればできる子

多くの子供たちは、愛されるべき親からこう思われているだろう。この子は「やればできる子だ」と。今は何かの理由でできてない子であるだけだと。

 

ただ経験的感覚からして、やればできる子は、まずほとんど将来にわたって、ずーっとやる機会には巡り合えない子であることが多い。はた目から見ると、できていない子とさほど変わりない。やればできるはずの子で本当にできる子は、既にどこかでやっている。

だからやればできる子は、ある意味、痛い。

 

ただこれが、単なる個人であれば、誰かに心の中で「痛い」と思われていたりする程度で、社会的に大きな痛手は負わないだろう。当人は多少苦労するかもしれないが。

 

だがこれが個人ではなく国なら?
うちの子(国)は、昔はできたの。今はたまたま調子が出ていないけれど、調子さえ出れば実力を発揮するのよ。やればできる子(国)なのよ。

しかし実際は、世間の流れからかなりはずれ、再浮上するべきルートにもまだうまく乗れておらず、ほかの国からすると、あぁ、「痛い国だ」と思われていたら?勝手に自己満足していつの日かの再浮上を夢見るも、一人(一国)で落ちていくのみ、なの?正しい自分を理解すれば、それなりの振る舞いもあるはずなんだけど。それがわかっていない様に見える場合は…いたーい。