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価値はいつ産まれるのか

商品にしろ、サービスにしろ、誰もがそれに対して対価を払って使い、利用する。払うべき価値があると考えて、その対価を支払っているはずなのだ。

 

けれど、その「価値」は、いったいいつ「生じている」んだろうか?

たとえば、わかりやすいデジタルガジェットで考えてみると、当たり前ながらほとんどの場合、「購入した」だけでは価値は生じていない(一部、所有すること自体が目的、という方は除いておこう)。
その購入者は、その商品に対して、「こうやって使えるよ」という説明を読み、自分の中でそれに準じた使うシーンをイメージし、そこで使えるはず(まだここでも生まれていない、期待だけだ)ということに対してお金を支払う。そして、その場面になって初めて、「あぁ、使えてる!」と価値を感じる。

 

ただこういう場合もある。購入者がイメージしているそのシチュエーションを確かに実現できる。…のだが、実際にやってみたところ、どうも想像していたほどではないということももちろんある。作り手、使い手、ともに、期待しすぎていたということ、期待したほどでは無かった、価値は生まれていなかった、と。

 

と考えると、作り手の想像と、それを実現させるテクノロジー。そしてそれに呼応する使い手の想像と創造がかみ合った時に初めて、すごいとか、使いやすいとか、価値が生じている。

 サービスやエンターテインメントでは、作り手が、使い手の想像を超えてこそ大きな価値/驚きを生むなどということもある。

 

ということは、作り手は常に使い手を超える、少なくとも期待するレベルの使い勝手や利用シーンを描き、それを現実化したり。場合によってはそれとは全く逆の方向として、突き詰めた使い方ではなく、「遊び」をふんだんに盛り込んで、ユーザーの創造性を刺激する、自由に使えるようなものに仕上げたり。

 

ってことは、「価値」は、使われるその時に初めて生まれるもの。それまでは想像でしかなく、期待でしかなく、かもしれないの範囲を逸脱しない。だからやってみるしかなくて、だから「どうやってみるか」を真剣に考えなくては行けなくて。期待を伝える、より具体的に指示する、その勘所を伝える、というコミュニケーションその物なしには成り立たなくて。