PCの学校

私もやったことがある、デジタルガジェットに得意でない方々がPCをはじめとして使えるようになるといいな、ということで、WordやExcelの使い方教室が開かれているのをサポートすること。

 

でもこれに受講者として参加する人は大きく2種類の方がいて、「使えるようになるといいな」という人と、「こんな○○を作りたい」という人とでは、実はゴール設定が全く違うし、それによってモチベーションが大きく左右され、ひいてはその人の上達度合いにてきめんに現れたりする。

 

「使えるようになるといいな」という人、具体的に何かを作りたい、こう使えるようになりたいとは思い描けていない人は、とにかく使う、もしくはその場に参加することによって、すでに満足していらっしゃる方が多いのだ(自分が認識しているいないにかかわらず)。なぜなら、使えるようになる「場に参加すること」こそが自身の目的になっているのだから、「参加したことで目的は達成されてしまっている」のだ。うまくなるとか、何かができるようになるとかは、実はその次の事。なので極端に言えば、できるようになろうとならなかろうと、オマケでしかない。なので、参加する以上にはむつかしいことを理解したくない、モチベーションがあまり上がらない人も。極端に言えば、これを機会としてだれかと話がしたいという事なのかもしれない。

 

それに対して「○○が作りたい」や、「これができるようになりたい」といった具体的なことをイメージできている人、目標が描けている人は、その目標を達成することにこそ意味を見出している。なので、できなければできるようになるまでやるというモチベーションが働く。
むつかしかろうが、ややこしかろうが、やらないと満足できない。いや、会社で、学校で、必要に迫られて、などという方がまさにそういうことで、なので、必要な部分に関しては、メキメキと実力をあげていく。

 

べつにこれは、PCの学校に限った話ではなく、どこの場面でも、どの仕事でも同じこと。明確な目標値が示せているのか、なんとなくフワリとしたイメージだけであとは当人任せなどということになっていないか?

すでに個人の違いを重視するという考え方が大きく広がり、それの影響もあってか、個々の考え方が昔と違ってコモンセンスととらえることができない状況になっている。共通部分が縮小してきている感覚。そんな中でリーダーはいかにそうしたみんなの目標を提示できるのか?そもそもきちんとそれぞれのメンバーに伝わっているのか?メンバーの責任にする前に、まず自身がやれているかを省みたい。