同じ仕組みとみなせるか

工学系の学者が研究する際の一つのやり方として、自然界のうまい仕組みを見つけて、それを模倣する、といったやり方がある。自然界の仕組み、動物の、植物の仕組みは、いかに上手く出来ているか、という事を理解し、美味しいところをいただく。

結果的に、コレは物事を抽象的に見るというトレーニングができていてこそなせる技。この仕組み、ここでも同じように使えるんじゃないの?と、思えるか思えないか。

 


先日知人の間で話題になったのが、マニキュアやペディキュアの話。

塗ったはいいけどすぐに取れちゃうとか、そうした話題が出てきていたので、こう聞いてみた。

「普通、トップコートは塗らないのか?」と。

最近は男でもネイルに気を使う人がいるかもしれないが、そんなに日頃からトップコートなどという単語は使う機会がないはず。なので、なぜそんな事まで知っているのかと追及を受けたのだが、これとて上記と同じ事。

男の子なら、一度や二度は工作で獲物を作った事くらいはあるだろう。その際に、例えば木工工作なら、下地にとの粉を塗り、次にベースの色を塗り、その上に模様を描いて、最後にニスを塗る。こんな事は多少なりとも経験しているはずの事。

プラモデルでさえ、継ぎ目が目立たないようにパテで埋め、その上に色を塗って、シールやデカールを貼る。

焼き物はどうか?素焼きの皿や壺に、絵付けをして、釉薬をかける。でないと直接画材の色が出ているだけでは、焼けてボロボロと剥がれ落ちてしまうのでは?

 

要するに分野により、作るものにより、その道具や薬品の名前、呼び方などに違いはあれど、やっている事は似通っている事。だからそれをもってして、「と、こんなばあい、この上をコーティングする何かは必要ないのか?、だとするとそれは何?」と想像できるか、探せるか?

 

昨今、探す事は昔ほど難しくなくなった。それにより言葉としての知識は、案外と楽に入手可能になってきている。

となれば余計に、ここから先の差は、それを使えるか、実践できるかという事にならざるを得ず。

知る事、考える事、実践する事。これをいかに躊躇なく、効果的に行えるかが問われている時代に。