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効率のスパン

まだ言葉も話せないような小さな子供は、今やったことに対する結果が、すぐにわかることでない限り我慢ができないことが普通。

言葉が話せるようになって、物事の理解が始まると、「ちょっと待つ」ことができるようになる。それでも待てる時間はそんなに長くはなく、数分から数時間程度。

小学校に入るころになるといわゆる学習が始まる。今習ったことがすぐに身につく感覚もあるだろうけれど、そろそろ「きちんと繰り返し学習しないと身につかない」内容も出てくる。要するに、時間をかけて結果が出ることをいかに理解できる体質として結果が出るまで耐えられるかという時間が、徐々に徐々に伸び始める時期。

中学に入ると如実に違いが出てくる。日々の学習習慣がついている者と、そうでないものの差は、最初は小さくともやがてグンとその差が広がってくる。差が目に見えたところで慌てて追いつこうとしても追いつけない。たとえば、英語の学習を「今日」やって「明日」からいきなり成果が得られるものではないのは、ご経験の方が少なくないだろう。

 

要は、結果が出るまでのスパンをどうとらえ、それに対してどのように戦略を立てていけるか?経験則的に考えれば、大人になればなるほど、結果が出るまでのスパンは長く、より長期的、より大局的に物事をとらえ、それによる効率化を狙うということになっていくはず…だと思っていた。

 

だが昨今の社会はどうだろう?すぐに答えを出せ、儲けを出せ。短期的効率化を迫り、それと同時に長期的効率化もなしていくなどというアクロバティックな状況が続く。もちろん、アクロバティックであったとしても、そんな戦略が見つかればまだ良い方で、通常は、短期的効率化のみを実現できるのがやっとという戦略がほとんど。だから「すぐに儲かることこそが正義!」という状況が、人々を目の前の残業に走らせ、効率の良いシステムづくりなどという大掛かりなところからは遠ざけようとする排斥力が働く。

 

a) それをわかっていて、それなりに努力する人

b) わかっていて、でも無駄だから努力しない人

c) わからずに、目の前だけのことに対処する人

要するにほとんどが、それ以前に個人の余裕すら効率化という名目で削られているために、a)の人などほとんどいないことになっている社会。

 

今のシステムに取り込まれてしまっては、たぶん脱出できない。

だからこそ、今のシステムにとらわれない、若者に期待がかかるわけなのだが。