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評価のパフォーマンス

ネットが浸透し、SNSが発達することによって、評価経済社会が到来するなどという言説が飛び交った。

互いに評価することで成り立つ社会。

ただ、そうしたSNSを使っている人を見ていると、互いに「正しい評価」をされているという事とは少し違った状況も見えてきたりする。
 
その実態は、
いい評価してねと念を押す社会
互いにいい評価押せよなと、カルテルを組む社会
それによって結果、「信頼」とは裏腹なもので評価された何か、を産もうとしているようにさえ見える。
 
相互評価は、正しく、義理人情に左右されずに、その中身をきちんと評価すれば、非常に信頼のおける良い情報になるだろう。が、ひとたびそうした付帯情報、強制力などでゆがみを生じれば、情報そのものが歪んでしまう。
もちろん、だからと言ってこれまでの社会が、ゆがみのない情報だけでできていたと言うつもりはない。メディアはメディアでいろんな経路があったり、派閥があったり。それらを認識して、多数を見比べるなどという評価の仕方を実践している人は今でもいる。
まずいのは、そうした評価の中身を想像することなくなんでも鵜呑みにして、「これだからいいの」と盲目的になること。要するに自分で考えるつもりのない、誰かにゆだねてしまうという状況。
 
あまりに世の中が複雑になり、ややこしくなることで、皆が考えなければいけない事、判断しなければいけないことが増えてきている。だからこそつまらない判断はしたくない、が、より良い判断はしていきたい。このジレンマにこたえるために、「これまでの裏付けがあるであろう」判断は鵜呑みにしたい。
それが昨今の判断の基準だったり、考えの根底にあるものであったり。
 
しかし実際はというと、結構似通った、でも微妙に違うものが大量に存在している事実。これらをどう判断し、理解、決断して前に進んでいくのか。
めんどくさい時代になった、ともいえる。いや、判断さえすれば、自分の進みたい世界になったとも言える。それをポジティブにとらえるのか、ネガティブにとらえるのかは、当人にゆだねられている、そんな時代。否が応でも考えざるを得ない時代。