田舎が都会に

PokemonGoを少しやれば見えてくる。いや、正確には、いろんな場所に移動してやってみれば、見えてくるものがある。

あれは、「都会の虫取りゲーム」だと。

 

夏休みの宿題の代表格の昆虫採集。本格的なものはなかなか作れないものの、それでも都会に住む生徒が、祖父母の家に帰省したのに乗じて、虫取りをした人もいるだろう。都会では、カブトムシ○○円、クワガタムシ○○円の世界。そうではなく、野生のそれを見つけ、捕まえる醍醐味。

だからこそ、一部の地方の生徒にとっては不思議だった。そんな毎日見るものを標本にして何の意味があるのか?と。

 

ポケモンはその全く逆の様相を呈している。

ポケストップの数も、ジムの数も、圧倒的に都会が多い。これは先行するイングレスとして登録されたモノの数の多さからからきているのであろうが、結果的に「都会人が引っ張るゲーム」であることは明確だ。

 

だから、地方のユーザーは都会にあこがれたりもする。都会の方が圧倒的にレベルが上がりやすい、モンスターが出やすい。田舎が都会にあこがれるゲームの典型。

 

 

だが、これに甘んじていていいのか?要するに、位置情報をうまく使えば人を誘導する事も可能にするようなイベント、ゲームが現実として動き出している。地図情報という裏付けデータ、技術があってこそのモノではあるけれど、ではいつまでそれに甘んじているのか?(いや、それだけ、データーも、サーバーも、超巨大な裏側があってこそ成り立つのはよく知っているよ)

ある意味、データの作り方だけで、都会が田舎に、逆に田舎が都会に勝てる何かを生み出せる「事」があることが分かったということ。これを次のアクションに、具体的な行動にだれもつなげられない事の方が、問題なのではないかと。