それでもまだ幸せだったかもしれないあの頃

今から数十年前、閑職に追いやられた社員のことを「窓際族」と呼んだ時代があった。会社に行っても大した仕事はアサインされておらず、窓際の席で新聞を読んでいる社員…というイメージ。

が、今振り返って考えると、なんと平和な、のどかな風景であったことかと。社内に仕事が無い人員を、社内に確保し続けていられた時代なのだから。

 

今はどうか?

そうした人員は、「転職先を見つけるのがお仕事、という部署」に集められ、見つかろうが見つかるまいが、一年足らずで放り出されたりもすると聞く。そもそもそうしたことになるという一種のルールは、その社員が就職した際に聞かされていただろうか?こうした現実を眺めると、誰も「終身雇用」などと言う夢は信じていないだろう。

もちろん、社会環境の大きな変化、経済ルールの変化も大きい。それらにアンテナを伸ばしていなかった社員にも、責任がないとは言えない。

 

結果、法人も個人も変化に対応できなくなるものからはじき出される。時代に応じた、環境に応じた各自の「変化」が求められる。
とは言え「変化させやすい」スキルと「変化させにくい」はある。これは法人でも個人でも同じこと。それが変化できなければ、法人としては、変わりきれなければ吸収合併されたり、倒産したり。個人なら首を切られたり。

 

人間社会がここまで成功してきたのは、弱肉強食ではなく互いの欠点を相互に補いながら、種としての覇権を確立してきたから。弱肉強食ならば、もしかするとほかの種に抑えられていたかもしれない。だが、すでに種としての人間の数は、爆発している状況。なので、互いに支えて補い合う時期は過ぎ去り、種のなかで弱肉強食型の競争をして、少々数が減ったところで影響は受けないのかもしれない。まさに今の経済状況は、名前はどうあれそれを具現化している状況であるのか。人によっては民主主義の限界とも言われているようだし。