品質低下

最近、さまざまな場所、場面、モノ等々においての品質低下が、個人的に気になっている。

 

デフレ下の経済状況で、さまざまな物事が、安価に提供せざるを得なくなっているのは分かるのだけれど、結果的に「安く見える」ように提供するのがやっとのところが少なくなくて、いろんな場面で青息吐息で事物を提供しているように見えて仕方がない。

 

スーパーなどで売られている商品でいうと、簡易包装に変更されるのはよいのだけれど、そうした「側」の見てくれを変えるのと同時に、1パックの容量が微妙に減るなんて言うのは枚挙にいとまがない。

 もちろん、企業努力によってさまざまな経費を抑え、社内改革/生産改革を行ってコスト削減の結果、安くなるには越したことはない。そうした企業努力が相互に行われ、互いに競い合うことによって市場が豊かになり、価値あるものが多く提供されるというのが資本主義。

しかし、今現状起きている(すべてではないが)一部の減少が、とにかく安くすることに強力にフォーカスせざるを得ない状況によって、手を抜いてはいけないところ、踏み込んではいけない部分におけるコスト削減が行われ、その結果としてチラチラと低品質なものが提供されている現状はあるのではないか?

さらに言うと、作り出すということにおける組織的構造もある程度限界に近づき、個々の人間性を壊すほどにまで個人の努力の末によって生み出されたコスト削減の結果の安価な商品。でもこれは、それこそ一部の人の犠牲の上に成り立っていることにならざるを得ず、さてそれが求めていたものだろうか?と。

 

 

「裸の王様」という寓話があるのは皆さんご存知だろう。みんなわかってはいるけれど、なんとなく周りの流れに逆らえずに、本当のことが言えなくなる。
みんな「頑張って、質は落とさず提供している」…と口では言っていたとしても、なんとなく肌感覚として、質が低下しているのを感じていたりはしないんだろうか?

特に日本人の場合においては、言葉にせず、そう感じた後は黙って離れていくということの方が多いのかもしれませんけどね。