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数のみが正解なのか?

多数決という決め方がある。私の場合は、どうやって決めれびいいのかわからなくなった小学校のクラスでの決議において、この決め方を教わった気がしている。みんなで賛同できる方に手をあげて、数が多い方が勝ち。

 

だがこれでは、数が少ないのはいつもいつも負けることになる。現代の言葉でいうなら、マイノリティーはいつでも負ける。

じゃぁ数が多い方が常に「正義」なの?この決め方自体が語っているのは、「数が多いことがこれから進めていくと選択したこと」ということ。なので、(何を正しいとするかはいろいろ議論はあるものの…)正しさとは違う判断のはずなのだ。

 

もちろん、数が多い方が勝てば、ほぼ間違いなく効率が良いという状況を生むことができる。昨今の仕事の現場において聞く言葉の多くが「効率」。

 

じゃぁ、究極の効率の良い状態は何?と考えてみたことはあるだろうか?

それはどれも同じ大きさ、同じ形、同じ考え方、例外を認めず、すべてが同じくなることで、すべてを同じ扱いにできる、という考え方。些細な違いこそが悪である、と。

 

そして思うのだ。そんな世界は面白いだろうか?楽しいだろうか?と。違いがあるから驚きがあり、違いがあるから発見があり、違いがあるから楽しみがあるのではないのか?

要するに、自分が効率よく扱うところは「同じ」で。それ以外のところでは「違い」を楽しみたいといった、矛盾した状況。

 

だから、違いを受け入れながら効率化をする、「価値ある違い」と、「同じくすべき効率」とを考え、意識し、切り分けて扱えるか。もっと言えば、「今」の価値観は、「明日」の価値観とは違うかもしれない。そうした価値観の変遷も追いかけながら、それぞれの違いを許容し続けること。

 

だから、決断的に「今」を決めても未来永劫続くわけでもない、正しくあり続けるわけでもない。「今」として良い選択であっても、「明日以降」においては、その価値が変遷することも当然。

 

価値を見つめ、硬直的決断にならず、真の価値をどう求めるのが良いのかを考え続けること、工夫し続ける、「今の正解を追い求め続ける」しか、正解をつかめないはずですよ、きっと。