探すか作るか

日々いろんなタイプの人とお会いする仕事だけれど、特に最近こういう傾向が強いような印象を持っている。それは「正解を探そうとする」こと。

 

学校生活においては、確かに「答え」があった。逆に「これも答えでは?」と先生にかみついたところでバカ扱いされることさえあった。

だがそれもまぁ高校まで。大学においては少し違った。確かに「答え」があるものもあるのだけれど、でも、その「答えに至るであろう過程の方が重要」なことの方が多かった。

 

場合によっては、それが答えなのかどうなのかは、時間がたった後にしか判断できない事もある。今正解が出ないのだ。

さらに「正解」というのも引っかかる言葉で、「解」の一つかもしれないが、「正解/正しい解」かどうかはわからないことがほとんど。

 

とくに、社会に出てからの「解」など、正解は誰にもわからず、悩んで解にたどり着く、もしくは解に「していく」しかないものがほとんど。

この覚悟がある人は、「解にしていく」をするのだが、そうでない人は「解を探す」努力をしがちに。

でも探しても見つからないんだよ。必死で回りを整備したところ、結果としてそれが浮かび上がってくるような、そんな感覚。だから、解にしていくしかない事の方がたくさん。

 

もちろん、探せば見つかるものもある。それはその人の仕事次第。

だから、今の自分の作業や仕事が、どちらのものなのかを自覚して。