歪み

身体は新陳代謝している。日々古い細胞は死滅し、垢として身体から離れていく。

こうした古いもの、もう使い古されたものを切り離すからこそ、あとに残っている本体は健全に保たれる。ゴミを貯めこんでいては保ち続けたままでは、そこから膿んで来たとしてもおかしくない。

 

これは経済でもそうだ。本来使い古された組織、会社は切り離され、つぶれていかねばならない。生物学的なそれとの違いは、古くなったそれ自身が改革することによってまた再生できる可能性があるということ。時にそうした組織は、切り離される前に自らを変えて再生することもある。ある意味幸せなことであり、大きな可能性でもある。
だが、やっぱり変わりきることができなければ、切り離してしまうほかない。

そうして切り離されたうえで、改革でき、新しいものが生み出せるようになるのならそれも生き方。新しいモノやコトが生み出せないのであれば、組織としては死滅していかなければ、それは経済という本体において「化膿」していくことになり、最悪悪いものが本体に広がる可能性も。

 

日本という経済市場において、本来の経済原理原則が正しく働いていれば、死滅している企業や組織は少なくなさそうだ。もちろん、システムの力だけに任せることで、一時的に非常に大きなインパクトを受ける可能性があるところは緩和したくなるのは分かるのだ。だがしかし、これから何十万年もの間、廃棄物を正しく管理し続けなければならない組織を「生きながらえさせ続ける」ために、すべての国民、企業で負担し続けるために、「今の組織」が生き続けているのはおかしくないか?

ただしく新陳代謝をしなければ、そこからゆがみが生じ、それがやがて「身体」全体をむしばんでいってもおかしくない。

 

ただでさえ、少子化、高齢化していっているというのに、そんな余裕はどこにあるというのか?