好き嫌い

これにも色々なジャンルにおいてあるのだけれど、今日語りたいのは

「研修好きの仕事嫌い」と「仕事好きの研修嫌い」

 

正直なところ、どっちもどっちなんだよ。

「研修好きの仕事嫌い」は、それこそ研修ばかりに熱をあげ、あぁ、新しいことを知った、新しいやり方だ、などと次々に手を出すけれど、実績を残さないことが往々にして。「実績」の重要さに欠けているということ。
もしかしたら、先日習った「アレ」を続ければ効果が上がってきたかもしれないのに、そうそうに次に手を出したりする、もよくある事。そんな即効性のあるものが世に氾濫しているわけもなく、また逆に即効性のあるものは、当然ながらすぐに効き目がなくなるもの。採用したソレが、考えなくても習慣になるくらいにまで身に染みるところまで使い続けない。だからいつでも「次」を探して、研修研修。

 

仕事好きの研修嫌い」には、実績を意識している人が結構いる。その点では成果は出しているのだろうけれど、それはそれで「昨今の事情」がうまく盛り込めていなかったり、場合によっては「自己流」を抜け出せず、時に壁にぶつかる。
が、そういう人は「今回は自分の努力が足りなかった」などと力不足を反省するも、認識不足、新しい技術不足には気づきにくかったり。要するに変わりたく無いにおいがプンプン。だからこういう人には、他から背中を押すようなアドバイス、「おまえ、そろそろ新しいこと学んで来いよ」といったサジェスチョンが功を奏することが少なくない。ま、往々にして「でも現場が忙しいんで、そんな暇はないんです!」などと現場を離れたくないオーラを発しているのだが。

 

どっちもどっち。俯瞰的に自分を外側から眺める余裕がどこかで必要に。環境の中で、世界の中での自分の位置付け。

昔なら、そういう適切なアドバイスを上司がしていたんだろうし、自分でも気にする余裕があっただろう。けれど昨今は、上司は上司で忙しく、自分は自分で余裕がなく。
こうしてある世代からそのスキルが奪われる、継承できないことで、継承の鎖はズタズタにちぎれていくことがどれほどの被害をこれからはらんでいるのか。真剣に考えるべきはココかなぁ。