解決できる人、課題を持ってる人

会社で働いていると、現実の問題が次々に目の前に迫ってくる。リーダーや現場は、それらをやっつけつつ前へ進まなくてはならない。

そうした日常の問題/課題とは別に、大きな課題が横たわる。それは、次の商品/サービスをどうするのか?新しい付加価値は何になるか、エンジニアだとすると、新しい技術が開発/導入できるのか?これは日々の問題とはレベルの違う、とても「大きな課題」。それを考えつつ、次の商品導入のタイミングとを兼ね合いにかけ、その「大きな課題」に対処していく。

 

こうした「大きな課題」を課題として意識を持ち、認識し、解決するレベルに落とし込める人は、トレーニングをした人か、もしくは最初からそのセンスを持ち合わせている人が少なくない。でない多くの人は、「言われた仕事を言われたスケジュールでやる」という意識で手一杯。だから、課題を持っている人は、それはそれであまり多くなかったりする。

 

それとは別に、そうした課題が明確になった時点で、それを解ける/解決できる人はまた少数。そもそもそういう技術を持っている人であったり、そういう形で組織を動かせばよいかもしれないとイメージできる人。

 

上記の「課題イメージ」を持った瞬間に「解の出し方」をイメージできる人もいる。こういう人は当然ながら会社の中で、メキメキと昇進するだろう。
だが多くの場合、「課題を設定できる人」と「それを解ける技術やイメージが作れる人」は同じでない事がある。権限があれば解けるかもしれないのだけれど、まだ権限が設定されていない事もある。もちろん、であればうまく上司や上位マネジメントを巻き込むことがうまくできればいいのだが、それができないがゆえに昇進できない人がいる。結果、組織が伸びない組織がある。

 

要するに、今会社が求めているのは「スーパーマン」たる、「課題を設定でき、なおかつそれを自ら解決できる人」出なければならない、という両方を持ち合わせている人。

 

これを、うまく複数キャラクターに割り当てられれば、そうした二人がタッグを組むことで、実は仕事は回りだすことがある。課題を見つけられる人。それを解決できる人。

もちろん、本当にできる人は、課題を見つけた瞬間に、その解き方も同時にイメージしている場合が少なくない。が、そうでない場合、いかにうまくその欠けた才能部分を補強してくれる人をサポートできるかにかかっている。

 

…が、日本の場合はそもそも、個人の役割とか、責任範囲を明確にしたがらないという風習/慣習がまかり通っているのが邪魔をしているかな。場合によっては人の成果を横取りしたり、逆の場合としては、自分の興味ある事しか解かないよと言う人がいたり。

なにをもって認めるのか、何をもって評価するのか。根本的かつ明確な評価の物差しに、やっぱり帰着するのかね。