読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

時間軸でとらえること

それは単に、最初に何があって、次に何があって…というレベルもあれば、30年前はどうで、20年前はどうで、10年前は…というレベルまで。事象によってさまざまだろうけれど、その時間での進化、品質向上といった感覚を磨くことが重要。

 

たとえば映画。1950年代もの、1960年代もの、1970年代もの、1980年代もの、1990年代もの…と見ていくと、その映像が訴えていること、また映像の作りが見えてくる。一本一本をぶつ切りに理解するのではなく、その当時のものとして集中的にとらえることで、当時の傾向が見えてきたり、また逆に、その当時であるにもかかわらずある作品だけが出色の出来であったりするのも発見したり。

 

同じく映像ものでは、日本のお家芸である(と思い続けていると、そろそろヤバくないか?とも思う)アニメーション。1960年代もの、1970年代もの…と見続けると、当時の画作り、技術、演出傾向などが見えてくる。20年周期くらいでなんども作り直されているリバイバルもの(たとえば、ゲゲゲの鬼太郎とか)だけで比べてみると、その内容の違い、映像の違いなども分かりやすいけれど、そんなシリーズはそうはないので。

 

と考えると、仕事の質も、当然10年、20年前とは変わっているはず。…だけれど、それが、「当時も働いていた、今も同じ職場にいるその人」の記憶にしかないのが問題で。要は、美化された思い出話として語る人だけであれば、それはいい話としてしか伝わらなくて。冷静に、客観的にとらえ、そして現在の時代背景、道具の進化などを勘案した「今に必要なレベル」を正しく設定できる、ということ。

本来ならば、過去の記録を紐解いて、過去の事実を紐解いて…という形で実証できればいいのだけれど、そもそもそうした比較できるほどのデータも残っておらず。みんな、「都合のいい人の記憶」に頼りっきりで。

 

昔のままにやっていていいわけではない。進化しているのだから。
ただし、昔と事情が変わって、今ではできなくなっていることもある。それはその部分は効率性ということで追求できなくなった、ある意味、時代背景からしての価値観として、「当時は」とらえられなかった価値。
でも、実際はこういうところの価値が見直され、であるからこそ回顧的にその部分をもう一度やり直すことで、「今の新しい価値」にとらえなおされていることも少なくない。

 

行き詰まったら、新しいことが出てこなくなったら、今一度、もう一度過去から学びませんか?