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学んでいることは

大人になって驚いたことの一つに、日本の歴史の内容がどんどん変わっていったこと。細かいところはいろいろあるのだろうけれど、印象的だったのは「1192(いいくに)つくろう鎌倉幕府じゃないんだよ、今は」、というところだった。

 

歴史なんか「過去」に起こったことなんだから、変わりようがないはずなんだけれど、それこそ十分に残っていなかった記録をどう解釈するか、今だから解析できるほかの証拠と照らし合わせてなどなど、いろんな周辺状況から新たに見えてくることはやっぱりある。

 

これに限らず、僕らが学んでいる様々な学説等々も、実はこの後変わる可能性がないとは言えない。たとえば日本語文法。今は「形容動詞」というのはあまり使わず、すべて「形容詞」として、具体的には「い形容詞」と「な形容詞」に分ける、という分類も聞いたことがある。
なぜこんなことになったかと言うと、何十年か前に学んできたそれは、当時の日本の学派の一つの隆盛により押し切られた可能性があるということらしい。しかし当時はそれで押し切れたとしても、それ以後の様々な研究等々により、やはり別の説の方が全体をうまく取りまとめられたり、説明できたりすることが分かってきた。よって、旧来教えてきた学説よりも、新しい学説に切り替える…ということ。似たような話が、他の分野においても将来起きて、おかしくはない。

 

こう見てみると、外国(具体的には中国や韓国等)で教えられている「日本の歴史」が、「日本で理解されている史実と違う」などと嘲笑している場合ではないかもしれない。もちろんどこかにより良い点があるかもしれないし、場合によっては間違いがあるかもしれないということ。

 

いずれにせよもっともまずいのは、「間違いだとわかっているにもかかわらず、かたくなにこれまで通りだと信じ込もうとする事」であり、「その間違いは決して認めない!」という姿勢だろう。

 

当初は「天動説」が信じられていたこの世界も、今は様々な観測事実等により、当たり前のように「地動説」で塗り替えられている。今あなたが信じていることも、もしかするとこういうことがあるかもしれない、ということ。

 疑う目を持ちましょう。そして疑ってもいいというスタンスを認めましょうか。