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自分と合わない事はみな…

この書き込みもそうだけれど、ネット以前において公に発言する力というのは、一部のマスコミにのみ与えられたもので、ある意味での特権階級の「力」。…だったのだけれど、今は、私も含めて自由に意見を表明することができる時代。
…であるからこそ、かなり偏った意見表明すら、かなりの力をもってネットを駆け巡り、場合によってはそれが世間に火をつけることもある。

 

今でもそうだと思うけれど、いわゆるマスメディアが意見を表明する際は、何重もの確認、チェックを潜り抜けた上で「意見」として出てくる。であるがゆえに、尖ったものも丸くなったり、リリースされる時間が遅れたりという弊害もあった。反面、そうしたチェックによって、突拍子もない意見や、おかしな偏向報道というのは、かなりの確率で是正されてきた。

だが今、誰もが思いついたことを思いついたままつぶやくことができる時代において、そうした偏向であれ、自分の好き嫌いであれ、なんでも意見としてネット上に表明できる。この表明の仕方がマズイと、「ただ一人の意見」が「大きな世論を背負った意見」に変貌したり、受け取る側が勘違いをする可能性が、今まで以上に出てきている。

 

自分の考えと合わない事も、もちろんあるだろう。でも、その「違い」もあってこその「他人」。究極、すべての人がすべて全く同じ意見、同じ考えであるような、「コピーロボット社会」では、何も面白くないだろうし、気持ちの悪い社会になるのでは。
だからこそ、「違い/同じ」という軸と、「好き/嫌い」という軸を混同してはならない。違うことを認めるからこその「あなたの存在意義」であり、「他人の存在意義」。これを混ぜて表明するから、ややこしいことになる。

 

とは言え、これまでの人生の中で、(自分も含めて)そういう訓練を受けていないものに、さぁ今日からこうしてください…と言われたところで、できないのも事実。
地道に是正を繰り返す…以上のやり方はないものか。過渡期だといって諦めたくないなぁ。