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理解する先に

理解できないモノは受け入れられない。こればっかりは仕方がない。

 

けれど、だからと言って、理解させるために説明を尽くされるべき、というのも違う気がしている。理解させる方の努力ももちろん必要ではあるけれど、それと同じくらいに、理解する方は理解するために考えること、こそが重要、だと考える。どちらか一方だけでなく、両方がかみ合わなければ意味がない。

 

とくにそれが、エンターテインメントなどであればなおさらの事。「自ら理解する事」自体が楽しい側面であるはずで、それをすっ飛ばしてどうするのか? 

もちろん、制作者の考え方もあるだろう。それと「答え合わせ」をするのも一つだけれど、さて、「答え」ってそれ「だけ」なんだろうか?

 

一つの事が、受け取る側の考えによって幾重にも意味を持つ。そこに含まれている様々な意味が、メタファーが、受け取る者において変わってくる。

すべてを理解する必要もなく、またすべてが意味を持つというわけでもなく。必要な人に必要なだけ伝わるモノ。であるからこそ、それをいかに楽しめるかは、受け取る側に委ねられている割合が大きくて。そう、委ねられていると言うことは、想像してもいいこと、と言うこと。これこそが楽しみじゃないの?

たくさん楽しめる人、あまり楽しくなかった人。人を選ぶ楽しみも実際には多く存在する。そして、結構多くの人が、自分もそんな楽しみ方ができるようになりたいと、何とか理解したいと努力する。

そう、提供する者と受け取る者は、その意味で、互いにコミュニケーションをしている。モノを通じ、音を通じ、映像を通じ、環境を通じて。

そしてそれを、自分の理解で豊かに解きほぐせるように。あるいは、いつまでも解くことを楽しめるように。

 

想像していいんですよ、想像しましょ!創造しましょ!