「すべての損」を恐れると

できなくなるのは「損して得取れ」ということ。

見かけ上は、いったん持ち出しがある、自分は損をする…が、大きく見てみると実はそれは得につながるよ。ということ。これが「損して得取れ」

でも昨今は、短い期間での評価ばかり。だから少しでも「損」をした直後に評価されれば、それは責任をひっかぶることに。なので、決して損ができない、損をとれない行動に。

 

最もわかりやすいところでは、何も投資せずに、今できる範囲でカイゼンせよという事。先行投資(損)は無し。損せず得だけを取れ…なんて、限界があるのが普通。

こんなことしか言えない企業家、取締役だけの会社は、一気にじり貧に陥ること多数。そしていつか、どんな投資もできないぐらいに屋台骨がやせ細り、サヨウナラ。

 

なので1か月や3か月で評価するのでなく1年で。1年2年で評価するのではなく5年で。すべての事業をそうするべきとは言わない。が、「儲ける事業」と「先を行く事業」の少なくとも二つがないと、企業はどこかで行き詰まる。

 

損して得取る究極的なものの一つがノーベル賞かもしれない。30年前に始めた研究、その後の実績が、今ここで評価され、大きく羽ばたき出す。

日本人受賞者がすでに憂いているように、たぶん、この先日本人の受賞者が継続的に続々出てくる見込みは少ないだろう。損をせずに特だけが欲しいから、取れる得などしれている。

 

損せず得だけを。そんな都合のいいことはまずない。「すべての損」を恐れることで、結果的にどんどんと自分たちが縮小していくということ。損して得取る「範囲」や「分野」をわきまえて、そこもそうして育てていかないと、ただでさえ人口減少のこの国は、本当に小さく縮小していくんだろう。

と言うことは、逆に考えれば、「得する損を見きわめよ」と言うことか。