それは恵まれていたからではないですか

もうほとんど病に臥せって、あと幾ばくも無い人生の終焉を迎えようとする人の多くが、過去を振り返って後悔することは、「もっと挑戦しておけばよかった」ということ、などと見聞きすることがある。

 

こういうことを聞いて、だから挑戦しよう、チャレンジしようと鼓舞する人がいる。もちろん、悪いことだとは思わない。

…が、さてみんな誰もが、何にも恐れずにチャレンジすべきだろうか?

 

 

人生の若いころにおいて、自分の目指すものが何かあって、儲けではなく、安定ではなく、夢を追うことに人生をかける人もいるだろう。

だが他方で、そんなに先が見えない内容で、この先失敗したらどうなるだろう?生きていけるんだろうかと心配する人もいるだろう。

無謀にチャレンジせよと言っているわけでもなく、ガチガチの固い安定した人生を歩めと言っているわけでもなく。その人の人生観に応じた、その人なりのチャレンジを選ぶ。たぶんそういうことのはずだ。自分が受け入れられるリスクの許容度合いを知りなさい、と言ってもいいかもしれない。

 

そうしてある意味、結果として「安定したいい人生を送れた人」は、「(あぁ、この終末を迎えられるとするなら)もう少しチャレンジしていてもよかったかな」と考えるのではないだろうか?ある意味、成功した人だからこその感覚ではないかと思うのだ。

 

もし終末を迎えたとき、「あぁ、疲れた、これで楽になれるよ」と思う人だっているだろう。挑戦したくて挑戦して、やりきったという人もいるかもしれないが、反対に、挑戦したけれど失敗し、その後は苦しい人生を歩んで、もうこんな苦労をし続けたくないと思う人もいるんじゃないかなと。

 

その「断面」を切り取ってみると、美しかったり、かっこよかったりするものだけれど、その前提となる何かにおいては、大きな違いがある事。

自分の寿命から考えれば、まだ自分の人生でそういう時期はかなり先だけれど、自分が取れるリスクを取りながら、自分が目指す何かに向かって。