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効率化の先に

効率化がいたるところで語られ、職場では追及され、パフォーマンスを求められる。これが究極に至ってしまえばどうなるのか?

たぶん、すべてが同一化/同質化を目指すことになるのではないか?

 

違いを認めない、すべて同じに。バリエーションは認めない、これしかありません、という世界。違いに対応すれば効率が下がる。在庫が積みあがるリスクは取れない。だから売れるものは売れる機種だけ、色だけ、ひとつのカテゴリーに一つ。

 

極端に聞こえるかもしれないが、こんな記憶はないだろうか?それは「コンビニの棚」だ。新製品発売直後は、いろんな新しい商品が出回るけれど、それもたぶん1週間から2週間ほど。それを過ぎるといつもの「定番」のみが並ぶだけ。結果として「売れるもの」だけしか残さない。それは店としての効率化のため。

 

ただ、人間には飽きが来る。だから、なんらかのタイミング、時機を見て、新しい刺激、新しいモノを送り込んで、刺激してやらなければならない。効率化と、その対極の刺激のための新機軸創出。結果として、この比率を、極力効率化重視の方に振っているというのが現在の経済状況なのだろう。ただ、非常に小さくなってはいるものの、新機軸創出を「ゼロにしては企業として成り立たなくなる」というのは多くの起業家は知っているので、やめることはない。が、限りなく小さく、本質的新機軸を生み出せない状況に近い状態になりつつあるのが現状ではないのかと。

 

続けるために、効率をあげなければならず、

続けるために、新機軸を見出さねばならず。

やはりここでも、このバランスを取り続ける、「バランス」感覚に収斂されていくのかな。

「それ」に「人」が翻弄される側にならないようにしないと。

「それ」を操るのが人のはずなんだし。