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普通が普通ではないということ

都心に住んでいると、鉄道を使って会社や仕事場に通う人が多数。私鉄もかなり広まっているけれど、やはりそれにもまして、JRのカバー範囲は広い。

…であるからこそ、便利なJRの路線は相互に関連し、あちらで事故があると、ドミノ倒し状態でこちらも、こちらも…と徐々に傷口が広がっていく。昔は中央線あたりを皮切りに、ジワリと広がることが多かったのだけれど、各方面が直通でつながる形での乗り入れで便利さを追求した半面、栃木や群馬あたりで起きた事故で、都心の朝が乱されることも少なくないのが昨今の悩み。

 

しかしそれでも、場合によっては数時間、場合によっては半日程度で、「いつもの日常」に復旧させる力というのは、考えてみればすごいこと。

「普通」というのは、多大な努力によって生み出されている日常であることを思い知らされる。

 

昨日と同じ今日があるのは、実はすごいこと。昨日と同じ商品が、今日もコンビニの棚に並んでいるのはすごいこと。

でもそれを同じじゃねーか、刺激がない、変化がない日々と感じるのは人間のおごりなのか。なんか面白いこと、違うことはないかなと刺激を探し、面白いことを探し、変化を探す。

 

小さな変化を消費しつつ、変わりのない日常の安定という心地よさに委ねている日々。ある意味誠に勝手な価値観と言ってもいいかもしれない。

 

日々同じであるという「放って置いたらありえないこと」に感謝し、昨日と同じ今日があり、今日と同じ明日が来ることに安心を感じる。

経済のみならず、健康も、安全も、すべてが同じであり続けると言うのはすごい状態であること。

「幹」としての普通と、「スパイス」としての変化の日常。

小さな変化すらない事に不満を抱かず、大きな驚きがなかったことに安心する。

 

普通ってすごいな。