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効率化は気付きを奪う

スポーツでトレーニングをする目的の一つには、頭で考えるまでもなく「身体が」反応するようになれるということ。「考え」て「身体」を動かしているのではスポーツシーンにおいてはすでに遅い。考えるまでもなく身体が動かなくては、勝てないのがスポーツ。

 

ただし、スポーツにはある意味の制約、ルールがある。これがあるからこそ、そのルール違反の動きや反応はまずない、という限定された状況にのみ反応するように身体や反応体系を作ることで、究極のスポーツの動きにつながる。

 

 

まったく話はかわる。

日常の仕事においては、取引上のルールや法律はあるけれど、ルール以外の事が当たり前のように生じる。これら当初想像していなかったことに対しては、「考えて」対処していくしか方法がない。もちろん、パターン化できる、すなわち効率化できるところもないでは無いが、結構な割合で想定外が発生する。それは個別対応せざるを得ない。

他方、考えるまでもなく日々通常の範囲で動かせる、進めていくことができる事がほとんど、という仕事もある。これはある意味究極の効率化を狙うこともできる。
○○職人とよばれて、生地をこねたり、千切りにしたり、魚や貝の下処理をしたりする作業が、こうした「効率」の部分に入る一例。だがこの例を見てわかる通り、こう言う効率化できるところ、個別対応が少ない作業は、機械に取って代わらせやすい。

 昨今の仕事は効率を上げられることだけではない。考える、その時に対応することにこそ価値がある、と言うか、そこが「人」が担うべき価値の部分。効率化できる仕事は、極端に言えば、これからAIなどに切り替わるであろう、人間から奪われていく仕事だ。だからこそ、効率化とは、その部分は考えなくなる、身体が勝手に動けば進む仕事、にしていくことが一つの目標。そこにおける気付きなどという反応を示すこと自体が、効率が下がっている証拠でもある。

単純な効率化は気付きを奪う。

 

で、企業において、効率化ばかりを喧伝する上司がいれば聞いてみたい。

効率化できた上で、どうしたいんですか?と。