囚人のジレンマ

「一人だけ得しようとする行動にでると、その人だけがそれをすることで、抜け駆けした当人は得をする。のだが、他の人も同様に行動しだした瞬間に、みんなが損をする」という構図。これが囚人のジレンマのざっくり理解か。

だからこそ、みんなは抜け駆けを避け、全体としての利益を図る方向に動こうとする…はずだが、そんな中だからこそ、「俺だけが抜け駆けすれば、“俺は”得をする」と先走る。 

まさに、昨今の「社会」がこんな感じでは?

 

俺だけが得をしようと、ちょっとだけルールを破ったり、俺だけくらいいいでしょ?という行動。確かに一人目は得をする。…を、みんながやりだすことで、結局みんなが損をする。

 

だからそれを皆んながしないように「ルール化」され、誰もが厳格にできなくなっていったり…というちょっと窮屈感がでて。最初の一人の無謀によって、それ以後みんなが迷惑をこうむったり。

 

極端なようだけれど、一部のバカな行動のために、それを「みんなが」しない/できない形で「ルール」で縛ることで、結果としてみんなが窮屈になる。明文化しなければならない社会は、明文化せずに動いていた社会よりも、レベルが低いと言えるかもしれない。

 

ただ、昨今の現実を見てみると、これほどまでにあまりに価値観が多様化し、あまりにそれぞれの思いや方向が違う方向へ向かっている世界においては、どこでも摩擦なく動くためには、あるレベルでの「ルール化」が必要になるのは必然かも。ましてや、少数者であればあるほど、多数者に翻弄される可能性から自分たちを守るためには、明文化して、ルール化して守らざるを得なくなる必然性に迫られたり。

 

よりよくあるために、自分たちを縛る。なんだか逆説的ではあるけれど、もし縛らなければ、縛るよりもよりひどいデメリットが待っている可能性があると想像できるから、やむを得ず。

 

個人的にはマニュアル化は好きではない。でも、いろいろできるようになり、豊かな選択肢が出てきたからこそ、縛る必要も出てきている。

なんだか、これ自体がジレンマのようで。

そしていつも行き着くのは、私たちはどうなりたいのか、というところ。