読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「できる人」の出来ない事

大きな会社であれば、同じ職場に一人や二人、本当に何でもできちゃう人がいたりする。何か困ったことがあったら、とりあえずこの人に任せれば、お願いすればなんとかなるというとっても便利な人。頭もいいし、なんでもできるし、最強。

 

ただ、こういうできちゃう人の多くが持つ欠点が、

「できない人の事が分からない」

ということ。もう本当に他の人ができないからこの人にお願いしに行くんだけど、すでにこの「最強」の人は手一杯。その人からすると「その程度」のことを、わざわざお願いされたくない状況もあいまって、だからついでちゃう…

「そのくらいなら、そっちで何とかできないかなぁ」

いや、あなたしか出来ないんですよ、残念ながら…。

 

(日本の場合には特に、こう言う優秀な人が思ったほど評価されずに、その分が誰か他の人の原資に回っていた傾向が見え隠れする。…からこその、当人のこうした発言であった気もするのですが。昨今は変わりつつあるのかなぁ)

 

 

野球選手などで、名選手が現役を終了し、繰り上がって、自分がいたチームの監督に就任したりすることがある。すべてがそうだというつもりはないが、ココでも上記と似たことが起きたりする。

その新監督が選手時代。大活躍するほど万能で、なんでもできて、世間から素晴らしいともてはやされた。記録も残し、記憶にも残っている。だからこそ今回の監督就任で、「監督としての活躍」も期待されている。…のだが、選手へのアドバイスがむつかしい。

自分が現役の時には、天才的能力のある自分は何も考えずに「できちゃった」から、できない人の感覚が分からない。何ができないのかが分からない。

どうしてだ、できるだろ…ではアドバイスにも何にもならない。でも言葉にできない。自然にできちゃっていたからわざわざ論理立てて考えていなかったりする。なのでつい「そこでブィーンと…」とか、「ここでグッと…」といった擬態語、擬声語で意図を伝えたくなる。

  

昨今はちょっとしたミスはもちろん、仕事における失敗が厳しく問われたりする時代。それに加えて、一人に膨大な量の仕事が振り分けられるのだから、誰もが他人の事にまで構うことができない状況に。

しかし、誰もパーフェクトな人はいない。が、相対的におのずと得意ごとは出てくる。それをうまくシェアし、「チーム」で対処していくことができてこそその組織やチームが進化していく。「人」はそうして組織立つことで進化してきた。そのために「コミュニケーション」を高度に発達させてきたのではないか。

すべてが「個」である必要はない。誰かに頼ろう、と同時に、頼られるようになろう。自分の得意なところを率先して提供することで「頼られ」、その分、自分の不得意なところを「頼り」に行く。まさにGive & Takeそのもの。そしてそれを円滑に促すためのコミュニケーション。

当たり前だが見落としがちなのは、「できる人」にだって、なにか、どこかに「できない事」が必ずあるんだよ。そこを助けてあげるところから。