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幸福の条件

そんな映画があったようにも思う。ロバート・レッド・フォードやデミ・ムーアが出ていたかな。

 

我々はなんのために働いているのか?人によってさまざまな理由があるだろうけれど、「生きるため」に「食い扶持を稼ぐため」に働いている。

さらに「ただ生きたい」のではなく、できることなら「幸せ」になりたいのであり、「つらい人生」を目指す人はまずいない。

 

で、その「幸せに」、「幸福に」…とはどういうことなんだろう。実はついつい忙しい日々に流されて、自分の幸福、幸せということを、じっくり考える機会を逸していたりしないだろうか?

 

たぶんそれまでも、ぼんやり考えていたはずだ。だがそれは当時の社会の流れもあったのではないだろうか。「幸せである」という事、イコールそれは、「お金持ちになる」事。なんとなく漠然とそんなことを思い描いていた時期が自分にもあった。それは事実、社会全体として、物価が上がり、借金してでも買ったものが自分のものとなり、どんどんと金銭で得られた価値が物の豊かさにつながって行くことを実感できた時代だったからかもしれない。

 

でもバブルがはじけて以後、国は必死で物価政策を打つも、若干回復したりもするけれど、実質的にはインフレなどという状況には程遠く、物の価値はほとんど変わらない。いやそれどころか「モノ」の価値が下がってくる「デフレ」という環境に、国ごとまるっと放り込まれた。
いわば、これまでの幸福感、幸せ感が全部「ちゃぶ台返し」を食らった状況に陥った。働いても給料は上がらないよ。だから買えるものも増えないよ…と世相に突き付けられた。

 

それでも人は働いた。「こんな状況は一過性だ。だから頑張ろう、昔のあの繁栄で、幸せになろう」。

 

…と頑張ってきたここ20年、25年。日本どころか、世界の経済事情が「インフレ」を起こせなくなってきている。
たぶん最終手段を使えば「起こせない」わけではないだろう。でも安全や安心のこの世界の均衡を保ちながら(という大前提の下に)景気浮揚、軽いインフレを起こすのは、相当難しくなってきているのが現実。

金融機関が提供する商品も、マイナス金利の影響からか、もう確実に金利をつけられるものがどんどんと撤退し、すべてのユーザーにリスク商品を提供する始末。

 

であるならばそもそも、「幸福」とは何かを考え直す時期ではないのかな、と?「幸せになる」とはどういうことか?昔の考えで行けば「お金」というわかりやすい指標に大多数が頼っていたかもしれない。けれど、今ここ、この時点においては、もしかすると「それぞれの価値」を認めることではないのか。誰にも同様に「お金」という価値観を求めているからこそ、皆が苦労する、苦しむのではないか?

ただ、現実は「お金という道具」を使って経済活動を動かしてきたのが人類。だからこそ、お金と生活は切っても切れない。であるからこそ、徐々に、そのバランス、配分を切り替え、自分の許容範囲の中でずらしていかなければ、それこそみんなして「不幸」に陥るのではないのかなと。

 

あなたの幸せとは、なんですか?

別に毎日フルコースの料理が食べたいわけでもなく。お茶漬けにおいしい漬物だって、私は十分に幸せだったりします。