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答えを探しても

「それで、答えは?」

仕事柄、こう聞かれることがあるが、「正解」など無いのが普通。

でも多くの方は答えを期待する。

世の中、小学校、中学校で習う算数や理科のような「唯一の答え」などあるはずないじゃないですか。(ある意味、教育の勝利かもしれない。唯一絶対の答えを探しなさいということが浸透した結果、が現状。でもね…)

 

もちろん、多くの方がそうでしょうねと納得できる「可能性の高い答え」はあるのは事実。それを「正解」というなら、そうなのでしょう。で、それ「答え」ですかね?

まず「多くの方」というのはどのくらいなのか?何割ならOKでしょうか?9割以上?7割以上?5割以上?半分を割ったらそれは正解じゃないのでしょうか?

選挙だって、そもそも選挙に出向く人が6割7割。そのうちの半分以上を取ったとしても現実の有権者の中の3割4割しかとっていない事になりますが、これで「当選」という、「民意が選んだ」ことになるのって、正しいのでしょうか?間違っているのでしょうか?

 

たぶん、今の社会や今のシステムにおいて、全員からなに一つの欠けもなく、くまなく意見を聞くのはむつかしく。なので、「ある程度」手をかけた「ある程」度広く意見をいただけるシステムを使って、「その中においての」多数意見で決めるほかなく。

となるとそれは「正解」ではなく、「今の状況で見えてきたひとつの答えらしき選択肢」。

 

だから、「その答え」を「正解」にしていくために動いていく必要がある。「正解が選ばれた」のではなく「正解にしていく」というスタンス。

もちろん、多くの人が当初から賛同してくれていれば、最初の「答え」を「正解」にしていきやすいだろう。でも昨今は多様性に富んだ時代だから、みんなが少しずつ違う方向を向いていることで、最初に選ばれたからと言って、その公約だけでずっと押し切れるわけでもない。そもそも周りの状況も、ずっと変化し続けている。

 

結果、答えを探したところで、それは「その瞬間での答え」でしかなく、ずっと「これからも使える答え」にしていく必要がある。そして、その答えを作れるように、たどり着けるように、みんなが動かしている意識を持ち続けないといけない。

選んだら終わりじゃなくて、それが正しいかどうかもわからなくて。選んだものが「やはりよかったというモノ」にしていくために。